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厳選沖縄ビーチガイド―リゾート・ビーチから隠れた名ビーチまで。選びに選んだ全119 (JUGEMレビュー »)
お勧めの沖縄のビーチを探し歩きました。何もない独り占めできる離島のビーチから人で溢れるリゾートビーチまで。自分の好みのビーチをこれで見つけて下さい。
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沖縄文化論―忘れられた日本 (JUGEMレビュー »)
岡本 太郎 芸術家岡本太郎の書いた沖縄文化論。フランスで学んだ民俗学の知識と芸術家としての直感で鋭く沖縄を切り取っている。びっくりする一冊だった。 * ブログランキング
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* SAGUARO BOOK写真集 好評発売中
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フォトグラファー・富山義則の「棘棘な日々」ARIZONA & 沖縄フリークフォトグラファーのブログにようこそ!
夏休みも終わりですが、沖縄363ビーチ大図鑑発売されました。 作業が遅れて発売が延びていた「沖縄363ビーチ大図鑑」がとうとう今日からAPP SHOPPERで買えるようになりました。遅れの原因はビーチの数の多さと、リンク貼りが面倒で、予想以上に時間が掛かった事だ。 6月発売予定だったから何と二ヶ月も遅れてしまった。しかし、丁寧に仕事をした甲斐があって写真は奇麗だし、沖縄のすべての有人島と入れる無人島のビーチは、分かり易くほとんどが紹介出来ている。 これがiphoneやipadに入っていれば沖縄のビーチで遊ぶのに困る事は無いと思う。 残念ながら今年の夏休みには間に合わなかったけれど、沖縄はまだまだ夏真っ盛りだから、沖縄に行かれる方はぜひこのebookを手にしてビーチで思いっきり遊んで欲しいね。 渚の風景 ![]() 「宇堅ビーチ」 数年前に訪れた時は工事中だった宇堅ビーチ。 今回「琉球古道」の撮影で通りかかったので立ち寄ってみたら、沖縄の風景とは思えない現代的光景が広がっていた。しかし海はきれいだ。 平日だったのでアメリカ軍関係者の家族が自分のプライベートビーチのようにして遊んでいた。まぁ借景は風情が無いけれど、ビーチと海はきれいだから彼女たちはまるで銭湯につかるようにして海にトドのような巨体を沈めていた。 米軍にとっては亜熱帯のリゾートをただで遊べるんだもの返す気はないのかもな。 新しい人工ビーチに行ってみた。 ![]() 「ハーリー船のドラゴン」 那覇空港から15分ぐらいの豊見城に人工ビーチがオープンした。さっそく行ってきたが、これは観光客に人気が出そうなビーチだ。便利だし、海も砂浜もきれいなので、沖縄滞在最後の日、飛行機に乗るまでの時間をこの浜で遊べる。 ![]() ![]() 沖縄のビーチを電子書籍にしています。 ![]() 渡名喜島/呼子浜 ついに南アのワールドカップが始まったというのに、沖縄ビーチ図鑑の原稿が終わらない。 というのも、沖縄の美しいビーチに見とれてしまい、原稿を書くのがなかなか前に進まないからだ。締め切りは6/30日なのでまだ先だが、17日から別件の撮影で沖縄に行くので、どうしてもそれまでに終わらせたいのだ。 しかしサッカー好きな僕にとってワールドカップは見逃せない。 睡眠不足の日々がしばらく続くことになりそうだ。 沖縄ビーチ大全、凄いオジイ編 「備瀬の隣、本部の海」 以前にも紹介したことがあるかも知れないが、あちこちで出会った凄いオジイの話です。 「オイッ!」「オイッ!」 備瀬崎の海岸からエメラルドビーチに沈む夕陽を撮影しようとカメラを構えてる時だ。 「オイッ、こっちだ。こっち」 後ろの空き地に止めてある、軽トラックの運転席にいる男が声をかけてきた。振り向くとジーッと夕焼けの太陽を眺めている。何か文句でもあるのだろうか。 「オイッ、写真は撮れたか」 「撮れましたよ。きれいな夕陽でしたね」 「そうであるな。今日の夕陽はなかなかよろしい。水平線のところまで、沈む太陽がはっきり見えたからな」 ずいぶん詳しそうに夕陽の話をするので興味をそそられた、車のところに行って男の顔を見ると初老のオジィだ。 「オジィ、ずいぶん詳しいね」 「当たりまえさぁ、毎日ここに夕陽を見に来てるからよ」 えっ、毎日夕陽を見に来てるって。そんなオジィがいるとは驚いた。 「今日の夕陽は上等。いつもは雲に邪魔されるな。最後が見えないからな」 オジィの話では、ぼくは運がよかったらしい。そんなに夕陽好きのオジィなら、きっと一番好きな光景があるに違いない。 「伊江島に沈む夕陽が一番上等さ」 冬になると太陽の沈むポイントが北西に移動してくる。そうすると、ちょうど伊江島タッチューにかかる夕陽が見える。その時が一番だという。 「沖縄一番の夕陽であるな」 うれしそうに話をするとオジィはエンジンをかけて去っていった。 その時のぼくは、あっけにとられながら走り去る車を見つめていた。こんど来た時はいっしょに伊江島タッチューの夕陽を見たいなぁ。 ちなみに、ぼくのお勧めの夕陽ポイントはたくさんあるのだ。たとえば、これまでで一番赤く染まった夕焼けを見たのは、北谷のアラハビーチである。そのときは、周りにいたウチナンチュ達も「アキシャミオー」と感嘆していた。この時の写真はあまりに赤いものだから、画像に手を加えているように見られてしまう。決してそんなことはしていないのだが。 数年に一度そのような夕陽が沖縄に出現するそうだ。 那覇からほど近い、瀬長島のビーチから見る夕陽も好きなのだ。 ここから見える夕陽はケラマ諸島に太陽が沈んでいく。瀬長島はいわゆるデートスポットになっている。仕事を終えたカップルが島の外周道路に車を止め、夕陽を見ながら楽しそうにおしゃべりしている姿が毎日のように見られる。 島が空港のすぐそばにあり、風向きによっては真上を飛ぶ飛行機の離着陸光景も見られる。気軽に時間をつぶせるので、昼は営業車のなかで昼寝をしているサラリーマンの姿もちらほら見受けられ、那覇市民憩いの場所でもある。 ほかにもあるが、開発により趣が無くなってしまったビーチもある。西表島の月が浜は静かで趣のある大好きなビーチであった。ここに沈む夕陽を見るためにモクマオウの林の中を、落ち葉を踏みながら砂浜まで歩いていくのが楽しいのだった。しかし、残念ながらここは開発されてしまい、取り付け道路がビーチそばにまで作られたので昔のような雰囲気は無くなってしまった。くーっ、惜しい。ビーチには開発反対の看板が立っているのが物悲しい。それでも、夕方になると地元の人が犬を連れて散歩したり、カップルらしき人影があらわれて沈む夕陽をじっと見ている。 竹富島の西桟橋のそばにあるナーの浜あたりも夕日を眺める良いスポットだ。この浜の入り口には安里家ユンタに歌われている、悲恋物語の主人公クマカの遺跡があるので、恋人同士には良いロケーションだろう。静寂な風景の中を太陽が西表島や小浜島の島影に沈んでいく姿は感動を覚える。 宮古島にも夕陽を見るのにはとても良いビーチがある。ひとつは、砂山ビーチだ。ここは、吹き抜けになった岩山のトンネルに沈む夕陽を眺めることができる。砂浜にある流木に腰を下ろした若い女性が、祈るように洞穴に沈む夕陽を眺めている姿を見かけたりする。宮古島から船で10分ぐらい東へいったところに、大神島がある。最近まで一般の人が上陸することはできなかった。神の降りる場所がある神聖な島だからだ。島には宿泊施設や売店などないので、観光客が気軽に行ける島ではない。しかし、港の近くにタカマという場所があり浜辺がある。ここからは宮古島に沈む夕陽が見られる。 「タカマから見る夕陽は上等さ」 大神海運に務めるオジイから聞いた。しかし、問題がある。夕陽を見ていると、宮古島行きの最終便に間に合わないのだ。宿泊施設はないので、野宿覚悟で見に行かねばならない。 沖縄にはサンセットビーチと名前のついたビーチはいくつかある。そのなかでも一番新しいのが、石垣島の久宇良地区にできたサンセットビーチである。ここは秘密のビーチとして、前から目をつけていたのだが、地元資本の会社がサンセットビーチと名前をつけて、宣伝を始めてしまった。ここのビーチは岩の風景が面白かったり、砂質が良かったり、リーフもきれいだしとなかなか良かったのだ。観光客など全然いなかったので、いつ行ってものんびりできた美しい浜辺だったのである。ここから見える夕陽も絶品だ。東シナ海に雄大な太陽が沈んでいくのを、ビールを飲みながら浜辺に寝転がって眺めているときは、「上等、上等」と一人うなづいている。 結局、ぼくも備瀬崎のオジイと同じなのだが、彼らの年季の入った一言にはかなわない。また出会いたいものである。 沖縄ビーチ大全、離島編 ![]() 「ビーチの側で野球する少年たち」 沖縄本島にもたくさんの良いビーチがあるけれど、離島のビーチはまたひと味違う。昨日に続いて、今日は離島のビーチで感じたことを紹介します。 離島のビーチ/多良間島 白砂の美しさでナンバーワンといえるのは、宮古島の与那覇前浜かも知れない。いや、同じ宮古島の砂山ビーチもきれいだな。白くて細かな砂がさらさらしていて、歩くと気持ちがよい。砂山ビーチなどはふかふかして、くるぶしまで砂に埋まるほどである。宮古諸島のビーチは砂質が白くて細かいのが特徴である。伊良部島も、下地島も、多良間島も美しいビーチに恵まれている。 宮古島のパン屋「チェーロ」のオーナー夫妻は 「砂山ビーチや、前浜ビーチを見てこっちに引っ越してきたよ」 と話しているぐらいだ。沖縄の中にあって、それぐらい美しい海とビーチに恵まれているのが宮古諸島なのである。しかし、その中でも特に印象に残る島が多良間島である。多良間島は出産率が日本一という島でも知られている。まだまだ観光客も少ないので島の中の風景は、とにかくのんびりしている。空港から一軒しかないレンタカーの事務所に連絡する。電話に出たオバァは、 「空港の駐車場に鍵の付いている軽自動車があるから、それを使っていいよ」 という。支払いをしないまま飛行機で帰る人はいないのだろうか。 それとも、そんなことは気にしないのかな。撮影を終えて港近くの事務所を訪ねると、一人のオバァが奥からでてきた。 「料金支払いたいけど、ここでいいの」 「そうだよ、一日五千円、ガソリン代も入ってるよ」 「はいこれ、五千円。オバァところで、乗り逃げ心配ないの」 「そんな人はいないよ。はいこれ、おまけあげるよ。黒砂糖。体に良いからね」 ぼくが多良間島に行ったときは、ちょうど旧の桃の節句にあたる大潮の日だった。珊瑚礁が現れた海岸では、たくさんの人が珊瑚の上を歩いてアワビやサザエなどの貝を拾い、ウエットスーツを着た人は島ダコを狙っていた。この日は「浜降り祭」という女の子のお祭りなのだった。女の子は海岸に降りて海のものをとって食べると、一年間病気をしないという言い伝えがあるらしい。レンタカー屋のオバォもこれから孫たちとビーチパーティに出かけるとうれしそうに話してた。島中がとても楽しみにしているようである。 ビーチを撮影するので駐車できる場所を探していたら、軽トラックがあわてて入ってきた。何事かと驚いたのだが、一人の若者がくるまから降り、急いで砂山に上って沖の方を見つめはじめた。何かあるのだろうか。 「だからよぉ。潮の具合を見てるさ。潮が引いてきたら、午後から仕事休んで魚を獲りに行くさぁ」 この浜が彼の得意なポイントらしい。 「隣の島影がくっきり見えると、次の日は天気が悪くなるさ」 「台風でビーチの砂はいつも移動するのよ。海に持ってかれたり、丘に戻ったりだ。この前の台風はだいぶ砂を海に持ってったさ」 いろいろ教えてもらった。 「次の台風でまた砂は戻ってくるさ」 と笑っている。自然には逆らわない。海を敬い、共存することが大事なのだ。 この多良間島のビーチは、砂質がとても良いことと、どの浜にも昔の呼び名がついているのが特徴である。浜の入り口には丸太を削って作った簡単なネームプレートがある。それには、スシュキバマトゥブリ、とか・・・トゥブリと書いてある。昔の集落から浜にでて漁のポイントへ続く道を知らせる呼び名のことだ。その浜ではタコが捕れるとか、向こうの浜では貝が採れるとかの情報を共有するには、名前があった方が確かに便利である。昔の生活にも興味引かれるが、昔の呼び名を残す島のやり方には大賛成である。ずっと残してもらいたいものだ。 トゥブリとは、・・の方へという意味の多良間島の方言である。 石垣島のプチバブル 石垣島は最近特に人気が高く、八月や九月はホテルの予約が取れないこともあるぐらい観光客が押し寄せている。だいぶ都市化された沖縄本島よりも、まだまだ古い沖縄の風景が残る石垣島に魅力を感じる観光客の気持ちも判らないではない。他の離島に比べて、ここには山と海と両方の風景がある。これも人気の一つであろう。 石垣島のビーチを、写真を撮りながら歩いているときはいろいろ不思議な人に出会う。防風林の中を声を上げながら何かを追い回す二人組。海岸の貝を拾い集めて歩いている人たちが何人もいる。もちろん売るためだ。商売になるのだと言う。海辺の岩場に張り付いて、海草を採っているオジィやオバォはそれこそ何十人もいる。御嶽を掃除する老夫婦等々。年配の方から、ときどき声をかけられたりすることもある。 「写真撮影ですか。どちらから来たんですか」 東京からと答えると、 「自分も住んでたことありますよ」 懐かしそうに昔話を始める。だいたい声をかけてくるのは、本土で働いた経験のある人が多いようだ。彼らから得る情報も多く、面白いので時間の許す限り話を聞くことにしている。 たぶん彼らもぼくを見て変な奴だと思っていたに違いない。それで声をかけられるのかも知れないな。 ところで、彼らの話しでは、石垣島は東側の海岸と西側の海岸では潮の流れが違うので、もし泳ぐ目的でビーチに行きたいなら西側の海岸の方が安全で、海の色もきれいなのでお勧めだ。しかし、東側は海の色も良くないうえに、潮の流れがはやく要注意とのことだった。 さて、石垣島の人気の秘密はもうひとつある。離島桟橋から八重山の各離島へ船が出ているので石垣にいれば、たとえ飽きてもすぐ次の島に遊びにいけるのだ。そんなこともあり、現在の石垣島は他県からの移住者が急増している。特に東北、北海道からの移住者は温暖な気候に憧れているのか、ことのほか多い。その数は五千人とも六千人とも言われている。ミニバブルが起きているのは島の不動産である。賃貸物件つまり、貸家やアパートが不足している。同様に土地の売買も売り手市場になっている。ただでさえ島の宅地は農振法がかぶせられているために少ない。くわえて、八年後に開港予定の新空港には、東京からの直行便がやってくるという期待が先行した。そこに移住者の求める宅地やアパートも必要になったのである。県道沿いの坪4、5万円ぐらいの土地が坪6万円に上がるのはアッという間だった。 特に人気があるのは川平湾の近くの集落である。目の前に海がひらけ、後ろには山もある。実に石垣島らしい風景の場所だ。ここには移住者達が集まってきており、いろいろなカフェやレストランがオープンし、人気のスポットになりつつある。この地区を担当している不動産会社の営業マンは月給が歩合ということもあり、二百万円をこえる時もあると豪語していた。 その一方で、地元の人達は仕事のない石垣島を離れていく。昔から伝わってきた行事や祭事が人手不足のため開けなくなったという話も出はじめている。石垣島は伝統行事が多いことで知られる島なので寂しい限りだ。 ビーチで遊ぶのも楽しいものだが、石垣島に来たらぜひお進めしたいものがある。じつは船遊びなのだ。石垣島周辺は小さな島がたくさんあり、加えて珊瑚礁もあるため比較的穏やかな波の場合が多く、優秀な釣りガイドの船で美しいコーラルグリーンの海を眺めながら釣り糸をたれるのは素晴らしく爽快である。釣れた熱帯魚はもちろんリリース。釣りに飽きたら、船の上でのんびりするのもよし、珊瑚の上で泳ぐのもまた良しである。亜熱帯の太陽を全身にうけながら、南島の時間を思う存分堪能できることは間違いない。 さて、沖縄では夜の酒場を外すわけにはいかないのである。石垣島では美崎町を抜きには語れない。離島唯一の比較的規模の大きな歓楽街があるからだ。場所は石垣市の離島桟橋から市役所に向かって歩いて5、6分のところにある。こちらでは最終電車など無いので、時間を気にせず飲む人が大半である。東京だと、10時を過ぎたら帰る心配をしなければならないが、ここではそれからがお店の書入れ時になるのだ。飲み代も安いこともあり、居酒屋はファミレスの感覚で利用されている。子供連れの夫婦などちっとも珍しくはない。椅子よりも畳の方が人気なのも沖縄である。ちなみに、最近増えてきたのが、カフェバーである。観光客が増えてきたこともあるのだろう。若い移住者が経営している場合が多く、おしゃれな内装の店やアジアン風の店などさまざまなスタイルのバーが集まっている。 そこに集まる人々との出会いもまた楽しみの一つなのだ。 沖縄ビーチ大全、はじめに。 ![]() 「百名ビーチへ」 琉球古道の撮影をしながら沖縄中を歩いていると必ず海に行き当たる。昔から海とウチナンチュの暮らしは切り離せなかった。古い人骨の研究家は、足の骨格が海辺での作業で変形していることを発見したそうだ。 そんな沖縄のビーチを巡り歩いた時の話を紹介したい。 「はじめに」 沖縄にいったいどれくらいの数のビーチがあるんだろうか?
離島をわたり歩きながら、ビーチの撮影をしているぼくは、いつも疑問に思うのだ。
しかし、誰にも正確なところは分からないのではないだろうか。ほとんどのビーチを撮影したぼくでも、無人島や不便な離島などにはまだ行ってないビーチがある。
また、沖縄のビーチは数がたくさんあるだけではなくて、それぞれに特徴があるのも面白い。八重山諸島と宮古諸島とケラマ諸島もちろん沖縄本島、それぞれの島で潮流や潮の干満などでビーチの様子も違ってくる。楽しく遊べるビーチもあれば、危険なビーチもある。美しいビーチがある一方、ゴミだらけのビーチもある。ビーチから見えてくる沖縄も興味深いものがある。またビーチを巡っていると様々な人々との出会いもある。 イチャンダビーチ 「オバァ、このビーチの名前分かる?」 「なんと言ったかねぇ、誰かに聞いたら分かると思うんだけどねぇ」 「すみません、オジィこのビーチの名前分かる」 「わからん」 沖縄に来て時間がある時はビーチを探して歩いている。ちょっと町を外れると、誰もいないくて小さいきれいなビーチに出会うことがある。そんなビーチを見つけるのが楽しみのひとつになっている。けれど、写真に収めてからビーチの名前をメモしようと、近くの家を訪ねて名前を聞いても、たいていの場合は上の会話のようになってしまう。 地図に載っている大きなビーチには名前がついているけれど、沖縄には名前の分からない小さなビーチがたくさんある。地図にも載ってない小さくて、ほとんど整備されていない、地元の人しか遊びに行かないような岩のゴロゴロしている、自然のままのビーチのことをイチャンダビーチと呼んでいる。沖縄の方言でイチャンダとは、自然のままとか施設が無いとか名前が無いとかの意味で使われている言葉だ。それで、未整備の浜辺の総称としてイチャンダビーチと呼んでいるのだ。でもそんなビーチの中に、リゾートビーチでは味わえない、素晴らしい経験のできるビーチがあったりするのである。 沖縄本島の北部、東村には僕の好きなイチャンダビーチの一つがある。スクバマという。有銘湾に面した三日月型の砂浜である。砂質は細かくてきれいである。色は薄い茶色だが、量も豊富で、ビーチの上を歩くとふかふかする感じがして気持ちがよい。この感覚は好きだ。道路からちょっと入ったところにあるので、静かである。ほとんど風の音と、波の音しか聞こえない。ときどき鳥のさえずりが聞こえる。ビーチは南向きなので、サングラスは欠かせない。クーラーボックスに氷と飲み物を入れ、ビーチチェアとパラソルを用意して、誰にも邪魔されず一日中読書や音楽を楽しむ、絶好のビーチがイチャンダビーチなのである。 秘境と言われる西表島はイチャンダビーチの宝庫なのだ。島の7割を占める原生林の中を歩いて行かなければたどり着けないビーチも数多くある。そんなところでも船をチャーターすれば、連れて行ってもらえる。その中でもぼくの一番のお気に入りは、鹿川湾の奥にあるビーチだ。 まさに亜熱帯のジャングルに囲まれた美しいビーチである。もちろん砂浜には人の足跡など着いてない。水と食料を用意してキャンプも良し、日帰りの浜遊びもまた良し。誰も邪魔をするものはいないのだから。イチャンダビーチの醍醐味である。 お座敷ビーチ イチャンダビーチの中でも特に小さなビーチ、それをぼくは勝手にお座敷ビーチと呼んでいる。例えば、波照間島に名前の分からない小さなビーチが空港の近くにある。アダンの林を抜けていくとあらわれる、珊瑚の岩場に囲まれた本当に小さな砂浜、ビーチと呼ぶには確かに抵抗があるかも分からない。そんな砂浜に腰を下ろして海を眺めていると、妙に気持ちが落ち着くのだ。この感覚は学生時代の四畳半の部屋の快適さに似ている。必要なものはすべて手の届く範囲にある。大き過ぎず、小さ過ぎずぴったりのサイズ。誰も自分の領域には入れない安心感がとても心地よい。多分カップルでいちゃいちゃするのに、こんなに適したビーチはなかなか無いと思う。 愛のビーチ 「クラゲのネットが見えないけど、大丈夫なの?」 「ここにはハブクラゲいないから、安心して遊べるよ」 沖縄本島からフェリーで2時間ほどのケラマの海には、ハブクラゲが現れないのだという。そういうことで、渡嘉敷島や阿嘉島や座間味島のビーチは安心して海の中で遊べるビーチである。砂質は多少荒いものの、白く美しい砂浜の広がるビーチが多い。特に渡嘉敷島の阿波連ビーチと、トカシクビーチは、カップルにもファミリーにもお勧めだ。ニモでおなじみのクマノミが6種類も見られるし、運が良ければ大きなウミガメも悠々と泳いでいる姿を現すこともある。透明度も高く、海の色もびっくりするほど美しいコーラルグリーンである。こんな海が日本にもあるんだなぁ。わざわざ外国まで行かなくっても、素晴らしい南島の海を楽しめるんだよ。 「マリリンに会いたい」という映画をご存知の方はよく知っていると思うが、阿嘉島からマリリンの住む座間味島まで泳いで海を渡り、会いにやって来るシロという名の犬の話を聞いたことがありませんか。そのラブストーリーの舞台になった島々なのである。南の島の愛の物語に刺激を受けた訳ではないと思うが、那覇から近い無人島には、結婚式のできる島もある。珊瑚礁に囲まれた砂浜だけの島に十字架の飾られた簡単な祭壇があり、その前で二人が宣誓するというものである。美しい海に囲まれた雄大な自然の中で愛を誓うのは、それなりにドラマティックなものであるのでしょう。 これらの島には、那覇の泊港からそれぞれの島に向かう船がでている。泊港の通称は「とまりん」。外国からの船や貨物船や本土からのフェリーが到着するのは、那覇港なので間違えないようにしなければならない。 瀬底島のリルワット族-最終回 前回まで
とうとう沖縄でもサッカー試合には勝てず、2分10敗になったリルワット族のサッカーチーム、コヨテーズ。でもすべての試合を終えて、瀬底ビーチで遊ぶ姿は生き生きしていた。 そんなとき喜名昌吉さんのコンサートで彼らの村の歌と踊りを披露することになったのだ。 ![]() ついにこの日が来た。これから奥武山競技場で行われる、喜納昌吉さんのハイサイアトランタというロックコンサートにゲスト出演する。子供達のなかでマーロンが舞台の前で踊り、青年達が後ろに一列に並んで太鼓を叩いてリズムを取り歌う。マーロンはイーグルダンスを披露することになっていた。ぼくも彼らのイーグルダンスは初めて見るので楽しみにしていた。控え室で出番を待っていたら次々に有名なゲストがやって来た。ジュディ・オングさん、高石友也さん、まだ元気だったドントさん等々。
「あのきれいな人は誰?」 「台湾出身のシンガーだよ。ほかにも一杯有名なシンガーがいるよ」 「じゃあ僕たちもその仲間なのかな」 「そういうことだね」 「すごいや」 子供達は周りを見ながら興奮していた。 「次のゲストはリルワットのみなさんです。大きな拍手をお願いします」 いよいよ出番がやって来た。場内のアナウンスはカナダからやって来た先住民たちが民族ダンスと歌うことを紹介している。次々に舞台に駆け上って行くメンバーの顔はさすがに緊張していた。 「ワァーッ、パチ、パチ、パチ」 大きな歓声と、拍手が聞こえてくる。舞台の上にみんながそろった。一瞬静まる会場。 「ドン、ドン、ドン」 リロイの太鼓の音を合図に歌とダンスがはじまった。たぶん、初めて生で見たであろうカナダ先住民の歌とダンスは、沖縄の人々の暖かい拍手が大成功だったことを知らせてくれた。 その夜は喜納昌吉さんと出演者の打ち上げパーティにも顔を出して、メンバー達は一晩中大騒ぎの那覇の夜だった。 いよいよ最終日。メンバーはそれぞれ帰国の準備に忙しい。家族や友人へのお土産を買い求めるために、三々五々と那覇の街に出かけて行った。子供達は留守番である。知り合った日本のガールフレンドに一生懸命電話をかけている奴もいる。うまくいけば良いけどこればかりはどうしようもない。 ジョッシュが寂しそうな顔でやって来た。買い物に行きたいのかな。 「トミー、見せたいものがあるんだけど、ちょっと来てくれ」 ホテルのテラスにあるベンチまできて、 「ここに座っていてくれ、ちょっと部屋までいってくる」 と言い残して姿を消した。小さなバッグを手にして再び現れ、この前は見せようとしなかったプラスチックのケースから写真を取り出した。それは彼の家族の写真だった。 「これはぼくのお母さん、これはお父さん。こっちがみんなで撮った写真だよ。いとこの写真もあるから見せるよ」 次々に自分の血族の写真を広げて説明しはじめた。なぜぼくに見せる気になったのか判らないが、話している彼の顔は真剣だった。一ヶ月にわたる日本の旅でいろいろなことを感じとって、たぶん彼は自分のことを良く知ってもらいたかったのに違いない。彼の言葉を聞きながらぼくも旅の終わりが来たことを悟った。 「ジョッシュありがとう。君のことは一生忘れないよ」 「ぼくもだよ、トミー」 彼らはあっという間に那覇空港から笑顔で去って行った。「コヨテーズ」の日本遠征は成功したのだろうか?飛び去る飛行機を見ながら、考えてみたがその答えが僕には解りようもなかった。 それから4年後、2000年の秋にバスのドライバーをしてくれた津川君と一緒に、リルワットの村を訪れた。アルビンの家を目指し、村の中を走っていると道の中に倒れている男がいる。ヒップだった。酔っているらしい。どうしたヒップ、こんな明るいうちから酔いつぶれるなんて何があったというのだ。 「やあ、トミー。今日はぼくの誕生日だ」 「ヒップ、久しぶり。それはおめでとう。今日はアルビンの家に泊まるから後で遊びにこいよ。ところで今年は何回目の誕生日パーティだい」 「アッハッハー」 相変わらず明るく、人なっつこい性格は変わっていなかった。 夜になると、コヨテーズのメンバー達がアルビンの家に集まって来た。中学生だった子供達は高校を卒業していた。結婚して、子供ができたメンバーもいる。思い出話に花が咲いた。 イーグルダンスを踊ったマーロンは、プロのブルライダーになって各地を転戦しているらしい。新人ライダーだけど有望な成績を残しているようだ。村の期待の星である。 遅くなって、一人の大きな青年がやって来た。 「ハーイ、トミー。覚えているかい」 ジョッシュだった。忘れるはずはない。 「もちろん覚えているよ。大きくなったなぁ」 彼は高校卒業し、銀行に就職していた。村で初めての銀行員だと言う。 「ぼくはずっと良い子でいた。日本でもそうできたし、これからもずっとそうして生きていくつもりなんだ」 「そうか。がんばれよ」 ジョッシュと話していると胸が詰まる。なんでだろう。 ジェームスは、クワキュートルの娘と恋に落ちてアラート・ベイに引っ越していた。 翌日、彼が村で行っていたキッズ・プログラムの建物にいってみると、大事そうに壁に日本語の表彰状がかかっていた。それにはこう書かれている。 「応援パフォーマンス賞」 万座のハーリー競争の時のものだった。そういえば彼らはハーリーも勝てなかったのである。でも日本の思い出は大事にしてくれている。それで良い。 瀬底島のリルワット族-4 前回まで
リルワットサッカーチームの日本遠征計画は、長老たちの合意が必要だったが、協議は遅々として進まない。そんなとき村の若者のリーダー、アルビンが来日した。彼にはこの計画を進めるための協力をお願いした。村へ帰るとさっそく連絡が来た。 いよいよ計画にゴーサインが出たのである。やがてリルワット族の青年たちは緊張した顔で日本にやって来た・・・ 「富山、屋我地にある沖縄タイムスの保養所を貸してくれることになったからよ」 「ありがとう、照屋。これで沖縄に行けるよ」 「それと、沖縄国際大学のサッカー部が試合しても良いってさ」 「芝生のピッチは確保できるのかな」 「大丈夫みたいよ」 照屋はぼくの大学時代の同級生である。30年以上のつきあいになり、沖縄に関わることではいつも彼に助けてもらっている。今回もボランティアでいろいろ助けてもらうことになった。頼りになる友人なのだ。いよいよこれからみんなが楽しみにしている沖縄にむかう。すでに沖縄の空は夏である。 結局、本土では「コヨテーズ」はなかなか勝てなかった。2分9敗という成績で佐世保にいた。これから向かう沖縄での試合に、日本遠征の初勝利はかかる。メンバーもなんとか日本食になれて来たようなので、どうしても一勝を挙げてほしい。しかし、寒い国から来た「コヨテーズ」は果たして沖縄の暑い太陽を克服できるだろうか。 三人の少年達もすっかり日本になじんでいた。しかし、食べ物は相変わらずマクドナルドのハンバーガーやケンタッキーのフライドチキンが大好物にかわりはなく、それらの店の前を通り過ぎる時は恨めしそうな顔で看板を眺めているのが可愛らしい。その三人の中でジョッシュは一番おとなしい少年だった。いつも何かを大事そうに持っている。 「ジョッシュ、それはなんだい」 「なんでもないよ」 秘密にしておきたいものらしい。 照屋からまた連絡が来た。 「万座のハーリー競争にでないか」 「誰もやったことないけど、大丈夫なの」 「あー、問題ないさぁ」 海のない村なので、ハーリーは面白い。体力はあるので、ひょっとしたら勝てるかも知れない。みんなの思いでにもなる。 「オッケー、相談して出場するから登録しておいてね」 ぼくとドライバーの津川君は先に那覇に入り、彼らを迎える準備をすることにした。那覇空港の駐車場にマイクロバスをとめて、宿舎に向かうルートの確認をしているうちに、ぞろぞろとチームのメンバーが出て来た。なんとなく元気がない。沖縄のあまりの暑さに戸惑っているのかも知れない。ほんとにここで、サッカーできるのか心配だ。 「沖縄には、危険な生き物がいます。まず、毒蛇のハブ。それから海の中にはハブクラゲとウミヘビがいます。一番危険なのは、沖縄美人です。注意しましょう」 どっとバスの中に笑いが広がる。 「ヘイ、トミー。最後の危険な生き物はどこにいるんだって?」 「バスの外にうようよいるので気をつけてくれよ」 せっかくの沖縄だ。少しでも明るい気持ちになってほしかった。 屋我地の沖縄タイムスの保養所は木造の古い二階建ての一軒家だった。これがかえって彼らには良かったように思う。自然の少ない日本の風景にすっかり疲れ果てていた「コヨテーズ」のメンバーは、みるみる元気を取り戻しつつあるように見えた。そういえばリルワットの村にはコンクリートの建物はほとんどない。村に戻ったような居心地の良さを感じたのかも知れない。木のある生活は人をリラックスさせてくれる。目の前には遠浅の海が広がり、夜には月を眺めることもできた。夕方になると、庭にバーベキューセットを持ち出し、波の音を聞きながらみんなで晩ご飯を食べる。カナダでは考えられないような暖かい海辺の生活に、沖縄の自然の楽しさを文字通り肌で感じているようだ。ぼくは前にも述べたように、彼らを連れて行きたい所があった。瀬底島のビーチである。そのころはまだ、人気がでる前のビーチだった。いまのように水着の撮影するため撮影隊が順番待ちするなど考えられない。地元の人が時々泳いでいるくらいで、ビーチは閑散としていた。どんなに騒いでもどこにも迷惑をかける心配はない。 「明日は休日だ。美しいビーチにみんなを招待するよ」 瀬底島のビーチにみんなを連れ出して、見たことのないような美しい海を見せてあげよう。 マイクロバスが瀬底大橋にさしかかると、窓の外に見えて来たコーラルグリーンの海の色にみんな驚いて、車内からは歓声があがった。素晴らしい沖縄の光景である。 ビーチの横に到着すると、待ちきれなかった子供達が我れ先に飛び出して行った。じゃれ合いながら白い砂に埋もれて歩くのがいかにも楽しそうだ。どの顔にも笑顔が一杯ひろがっている。その様子を見ながら、ぼくたちはモクマオウの林の中にバーベキューのセットをして昼ご飯の準備をすることにした。ビーチの上でバーベキューすると真っ黒い炭が砂に混じり、せっかくの白い砂浜が灰色になってしまって、美しさを維持できなくなってしまうからね。ビーチパーティをするとき、炭のコンロは砂浜を避けて使いましょう。できればガスコンロを使用する方が、沖縄の自然を守る上では良いと思うね。 さて、肉を焼いてあたりにおいしそうな匂いが漂い始めると、まずおなかを空かせた子供達が興奮しながら戻って来た。 「きれいな魚が一杯泳いでるんだ。初めて見るよ。なんと言う名前なの」 「なんであんなに海の色が青いの、なんで砂が白いの、どうして透明なの」 質問攻めだ。 「ぼくも知らないよ。でもきれいだよね」 「トミー、連れて来てくれてサンキュー」 肉をパンに挟み、口にくわえながらすぐ海に戻って行った。楽しくて、楽しくて仕方がないようすである。子供達だけではない。チームのメンバーも海の中で大はしゃぎしている。ここでは、肌の色も人種も気にする必要など全くない。心行くまで楽しんでほしい。 「リーフの向こう側は急に深くなっているので、気を付けてくれよ」 「了解、トミー。心配するな。この肉はうまいぞ、焼き方も上手だ」 そのとき海パン姿の二人の白人が現れた。たぶん休暇中の米兵だろうと思う。周りにいたメンバーに緊張が走る。それまでリラックスした雰囲気だったのが一瞬にして重苦しいものになった。ぼくはびっくりした。と同時に、彼らのこれまでの歴史が白人との戦いであったことを思い出した。アルビンはこれまでの歴史のなかで、白人との契約が守られた試しがないといっていた。いわばだまされ続けた歴史でもある。気分の良いはずもない。 二人の白人はこちらを見ると去って行った。沖縄には米軍基地があることをみんなに言わねばならない。どうしてこんな楽園のような所に基地があるのか問われるに違いなかった。 「ジェームス、走れー!シュートだ。打て、打てー!」 「ヒップ。パス出せ、こっちだ。左が開いてるぞ」 「ロバート、八番マークだ。戻れー、シュート打たせるなよ」 日本遠征最後の試合も、残念ながら沖縄国際大に一対〇で負けてしまう。前半にこちらのパスミスうばわれて、バックスがあわてたところをうまくつかれてしまった。そのあとがんばって攻めたが、どうしても相手のゴールを割るところまではいかない。一年生のチームに変更してもらったものの、とうとう勝てなかった。これで全敗でカナダに戻ることになってしまった。うーん、残念だ。運動能力ではけっしてひけをとらないのだが、技術と組織的な守備力に問題があったように思う。しかし、試合のあとは各地でもそうしたように、学生達とお弁当食べながら交流会だ。試合の結果よりも、こうしてサッカーという共通の話題を持ち、お互いの顔を見ながら話せばいろいろ見えてくるものもある。ところが、日本の大学生達には問題がある。消極的なのだ。試合後の交流を各地で催して来たものの、残念ながら言葉の問題も大きかった。日本の学生が積極的に彼らに話しかけてほしかったが、英語が話せないからなのか、恥ずかしいからなのか今ひとつ盛り上がらない交流会が多かった。片言の英語でもいいから話してくれよ。せっかくの機会じゃないか。 結局一つも勝てなかったが、瀬底島で遊ぶリルワットの青年と子供たちの顔は輝いていた。勝ち負けよりも日本各地で交流出来たことはみんなの記憶に残ったに違いない。 次回に続く・・・ 瀬底島のリルワット族-3 これまでの話、バンクーバーで知り合った日本人から紹介されたリルワット族の村に、取材で行くことになった。村のサッカーチームが先住民の大会で優勝したことを知り、ひょんなことから日本各地で試合しながら彼らを知ってもらう計画を実行するはめになる。
前回からの続き・・・ アルビンと東京で再会をする約束をすると、なぜか彼らがすごく身近に感じるようになったのだ。東京にきたらいろんな所を案内してあげよう。 さて、その晩は僕たちが泊まっているトレーラーハウスに近所のみんなが集まり、ビールやウィスキーを飲みあかして遅くまで大騒ぎの夜だった。もちろんアルビンの大漁祝いも兼ねてのことである。気が付くとぼくのベッドにはいつの間にか知らないおじさんが寝ていた。しょうがないのでソファーで寝ることにする。明け方になり、犬の吠える声で起こされた。ひどく吠えているので、なんだろうと思ったら、トレーラーハウスの周りに動物のおおきな足跡がたくさん着いていた。初めて見る足跡なので種類が判らない。アルビンに話すと、それはブラックベアーの足跡だ、まだ近くにいるから見に行こうという。驚いた。ブラックベアーはおとなしいので怖くないらしい。おっかなびっくりアルビンの後を付いて行ったら、300mほど先の畑の柵のそばに何か黒い点がうごめいている。熊だ。4、50mまで近づけるという。そっと近づいて行くとこちらに気が付いて後ろの山に駆け上って行ってしまった。ブラックベアーが臆病な性格というのは本当らしい。 でも、グリズリーは人間をえさだと思っているから、出会ったら覚悟した方がいいよと脅かされてしまった。そんなものには出会いたくはない。リルワットの村はカナダの大自然と密に共存しているのを実感したのである。
二日酔いでフラフラしながら帰国する準備をしていると、突然アルビンが現れ、 「トミーに紹介したい奴がこれからくるから」 と言う。ほどなく小柄な若者が現れた。ジェームスと名乗り、 「子供達に格闘技を教えたいので、日本の武道家を村に呼びたい。協力してくれ」 「どうして武道なの?」 「白人に負けない強い精神力を子供達に教えたい」 彼は村の子供の支援プログラムを立ち上げて、夢の持てない先住民の子供達になんとか誇りや自信を持たせたいのだと言う。力になってあげたいが、武道家に知り合いはいないので、そのときは 「日本に戻ったら、いろいろ調べて連絡するから」 とだけ話して村を出発した。 さて東京に戻ると、根本君から「ASAP友の会」という小冊子がおくられてきた。それには、リルワット村の出来事やカナダ先住民の現状や彼らにまつわるエピソードと援助のお願いなどが書かれている。その中に村の青年たちのサッカーチーム「コヨテーズ」が先住民たちの対抗戦で好成績を収めたので、日本遠征したいというような話が乗っていた。僕は無類のサッカー好きで、高校生の時は和歌山で開催されたインターハイに出場した経験もあった。これなら自分の力でも協力できる。一緒に彼らとボールを蹴るのは楽しいだろう。頭の中でその時のことを想像するとわくわくしてしまう。特にサッカーというスポーツは、世界の共通語といわれるくらいコミュニケーションの手段として優れている。ぼくも世界の各地で言葉が通じない時には、ボールを蹴る人々にまじって一緒にサッカーをする。と、すぐ友人が作れて取材活動もスムーズにいくことが多かった。身を持ってその素晴らしさは知っている。なので、これからスポーツを始めようとする若者にはぜひサッカーやフットサルを勧めたい。ボールが蹴れればどこの国に行っても友達が作れるからね。野球ではなかなかそうはいかない。リルワットの青年達も日本でたくさん友人を作れるに違いない。そんなことで、さっそく根本君に協力を申し出た。 それからが大変だった。リルワットの村では根本君が計画を実現するために、長老たちへの根回しを行うことになった。実は根本君も高校時代サッカー部で、サッカー大好きということだ。彼のやる気にも熱が入る。ところが、先住民の村は長老たちの合議制であることが多い。リルワットの村もそうだった。日本への旅を認めるかどうか、予算はどうするのか、誰を行かせるのか、やきもきする議論は続いた。せっかくの計画も村の長老達が反対すれば実現は不可能である。 そんなとき、アルビン達が東京にやってきた。約束通り、再会を果たし僕の家に招待した。そのときは、静岡県裾野市の山の中にログハウスを建てて住んでいたので、何人でも寝泊まりできたのである。アルビンも村の若者と日本の若者のサッカー交流には大賛成であった。村に戻ったら実現に向けて強力に援護するという。 その日もアルビンと一緒にビールを飲んだ。彼にログハウスの説明をしている時に、突然立ち上がり太鼓をたたきながら歌いはじめた。 「ヘイヨーへイ、ヘイヨーヘイ、ドン、ドン」 どうしたのかと尋ねると 「ログハウスの丸太がカナダから日本に来て、寂しがっている。だから木を落ち着かせるための歌を歌った。もう大丈夫」 それ以来、ログハウスは気のせいか、裾野の山の中にいることを納得したような気がする。 彼らと一緒にいると、時々ぼくには見えないものを見せてくれることがある。リルワットの村で、アルビンの家に居候しているワートという青年は、一緒にドライブしていると森の中を指さし、あの木にはイーグルの巣があるといったり、あそこには動物が木の実を溜め込んでいる食料庫のようなものがあるなど、いろいろ教えてくれる。しかし、ぼくの目にはただの森にしか見えない。 「ワート、ぼくにはどこにあるかわからないよ」 ワートはその度に悲しそうな顔をするだけだった。帰国するとき彼は、お守りだといって動物の牙をくれた。熊の牙だと言う。 「お前にはそれが必要だ」 日本にはお金があるから世界中のものが集まってくる。けれども、自然の木などのものに宿る心までお金で買えるわけではない。というよりも、そんなことにはだれも気がまわらない。自然のものには精神が宿っていると信じる先住民だからこそ、見えるものがあり歌える歌があるのだと思う。 アルビンの協力は心強いけれども、村の状況はどうなってるのだろうか。心配である。 「サッカー交流の計画は村の長老達は賛成なのかい」 「いまの所なんとも言えないね」 アルビンの話では、村の中には改革派と保守派の長老がいてそれぞれが違う意向を持っているのだという。なかなか結論は出ないらしい。アルビンはバリバリの改革派で、若者達には一目置かれているのだが、保守派の長老達には目障りな存在になっているようだった。 それでも、アルビン一行が村に戻りしばらくすると連絡が来た。アルビン、根本君、ジェームスの努力で、ようやく「コヨテーズ」の日本遠征は決定した。最初の申し出から一年近くがすぎていた。しかし、ありがたいことに、村の予算も一万カナダドルを使うことが許された。決して豊かな村ではないので、一万カナダドルは大変な金額である。ぼくも緊張した。言い出しっぺは責任重大なのだ。絶対に成功させるぞと強く心に決めた。 それからは、あちこちに寄付をお願いしたり、対戦相手を見つけたり、宿泊施設を捜したりと忙しい日が続いた。寄付が集まりはじめ、計画にもなんとかメドがついた。ぼくには日本にやってくるリルワットの青少年達に、どうしても見せたい場所があった。沖縄の海である。計画の最後の週は時間をたっぷり取って、亜熱帯の海を見たことの無い少年たちに、美しい沖縄の風景の中でたっぷり遊んでもらいたかった。彼らの心の中に青い空と白い砂浜とコーラルグリーンの海は、一生日本の思い出として残るに違いない。 忘れもしない1996年の6月13日。関西国際空港にリルワットの青少年15人が降り立った。 まず、和歌山の新宮で試合をすることになっている。ぼくは東京にいて、その結果を期待して待っていた。しかし、残念ながら4対0で負けたとの連絡が入る。ありゃりゃ、どうやらぼくが考えているほどには「コヨテーズ」は強くないらしい。困ったことになった。このあとの対戦相手は大学のサッカー部などの強豪チームが目白押しだ。あまり弱いと相手にも迷惑をかけることになる。強いチームにはBやCチームを出してもらうとしよう。 そして6月18日、いよいよ名古屋駅で彼らと対面する日である。予算が無いので名古屋から次の対戦地、水戸まではマイクロバスで移動だ。移動に大活躍のマイクロバスはボランティアで運転してくれる津川君のおかげで調達できたものだった。感謝、感謝である。 「富山さん久しぶりっす」 相変わらず汚い格好で根本君が駅から出て来た。元気そうだが、どう見ても日本人には見えない。案内役の根本君をのぞき、チームのメンバーはほとんどが初めて見る顔ばかりだった。村で子供達の支援プログラムを行っているジェームスがリーダーとしてきていた。残念ながらアルビンはいない。ほかに3人の中学生が子供達の代表としてきていた。みんなの顔がなんとなく緊張している。初めて見る日本は、コンクリートだらけの風景で彼らにとって必ずしも住みやすい土地ではないようだ。ぼくの頭の中は、これから事故など起こさずに無事スケジュールをこなして帰りの飛行機に乗せられるか、というようなことを考えていた。青年達の顔を見ていると、とても一筋縄ではいきそうもない雰囲気だったからである。 しかし、それは思い過ごしだった。ミニバスに乗り、車中で自己紹介などしながら雑談をしているとだんだん初対面の固さも取れて来て、冗談も出るようになって来た。あとで判ったことだが、村では誰を日本に送るのかという議論がでて、人選にもめたらしい。そのとき一つの基準が決められ、まじめでしっかりした良いやつを送ろうということになったようだ。けっしてサッカーの上手な青年が選ばれて来ている訳ではなかった。バンクーバーの空港では円陣を組んで、日本遠征にいく目的や意味を繰り返し全員にジェームズが言い聞かせ、絶対に問題を起こさないことを誓い合っていたようだ。それを見ていた根本君も、みんなが異常に緊張しているのがわかり、異様な光景だったと話していた。 こうしていよいよ先住民サッカーチームと、日本各地に出向きサッカー試合の旅が始まることになった。 | 1/8Pages | >>
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