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フォトグラファー・富山義則の「棘棘な日々」

ARIZONA & 沖縄フリークフォトグラファーのブログにようこそ!
写真を学ぶ本

「アンセル・アダムス作例集」

写真を勉強しはじめた頃、アンセル・アダムスの美しいモノクロームプリントを見せられて、僕が想像していたのとは違う写真の世界があることを知った。

それ以来、アンセル・アダムスのプリントが作品を制作する時の目標になった。なかでも、彼のゾーンシステムを紹介する本はとても役に立つ教科書となったのだ。露出、ネガ現像、プリントの3部作が出版されていた。

しかしデジタルとなったいまは、写真の基本を知らなくても、とりあえず誰でもきれいに写真が撮れるようになった。暗室に入らなくてもプリンターで気軽にプリントを楽しめる。

こういう時代になり、プロとアマチュアの差が無くなっているという編集者もいるが、僕にはそう思えない。どうでもよい簡単な商品カットならカメラマンでなくても撮れるようになったけれど、シズル感のある魅力的な写真はプロでなければ撮れないし、それなりの勉強が必要だと思う。

「こんな本を作ってました。」

別冊宝島の仕事で、昔こんな本を作った。まだデジタル写真が無い時代のものだが、写真の歴史を現在活躍している写真評論家やキューレーターたちが、それぞれのテーマを解説している。今思えば、まだ当時は写真が熱い時代であった。1970年代はもっと熱かったけれどね。新宿で石を投げるとカメラマンにあたると言われたほどである。

「スーザン・ソンタグの写真論」

これはフォトグラファーになりたい人たちは絶対読まねばならない。必読書だ。
写真の持っている力が良くわかる。

「これではだめだ」

入門書ということだが、あまり参考にはならない。僕もインタビューを受けている。
まずカメラマンとフォトグラファーの違いが説明されないといけない。

同じだと思う人もいると思う。でも、カメラマンはカメラを扱う人という意味なので、映画やテレビでも使う言葉だが、写真の場合はフォトグラファーである。フォトグラフを制作する人だからだ。

日本では、写真の内容よりもカメラという機械そのもの方が人気があって、以前アサヒカメラの編集者と話ていたら、うちの本は写真誌ではなくカメラ誌ですから、といわれたことがある。その時初めて「そうなんだ」と理解した。新機種の特集のときはよく売れるからだ。

さて、プロになりたい人がいたら明日からプロだと宣言すれば良い。国家試験など関係ないので、売れる写真が撮れるなら仕事がもらえる。そうして写真で稼げば立派なプロである。




| 写真集 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
だから写真は面白い

「ジョイス・テネソン」

写真なのに絵画のような写真をとる写真家たちも多い。
ジョイス・テネソンもその一人、彼女のHPをみるとその作品が良くわかる。

写真特有のシャープネスやコントラストなどを拒否し、わざとコントラストを落としたりフワーッとした映像に仕上げ、記録やリアリティーよりも自分のイメージを写真で切り取っていくのである。

でも、これが写真家にとっては一番重要な仕事かもしれない。

写真が発明されてから、ネガにイメージを定着させ、プリントすると同じものが幾つも作れるという機能を持っているために、あらゆる産業に利用されてきた。医学、IT産業、印刷、工業など写真の恩恵を受けている。

これは、いかに精度を高く被写体を再現できるのか、写真は本物そっくりに写すことを追い求めてきた歴史からすれば、否定されるものではない。

しかし、写真の面白さは被写体をきれいに写すことではなく、写真家の追い求めるイメージをいかにプリントに表現するか、で問われるべきなのだ、と思う。

「アンナ・ケール」

この写真集はちょっと不思議だなぁと思って購入した。構図もピントもすべてが曖昧というか甘いというか、だからつまらない写真というわけではないのだ。ファッション写真というわけでもない。

伝えたい、表現したいという気持ちが伝わってくるので見ていて楽しい。

ヘタウマという言葉が流行ったけれど、写真でもおなじだな。

「上田義彦 写真集」

日本人の写真家で上手だなぁ、と思うのは上田義彦さんだ。桐島カレンのご主人でもある。
写真のもつ気持ち良さを100%引き出していると思う。構図、トーン、色使い、被写体のポーズ等々どれをとってもしっかりしている。

しかも、人物写真、風景写真の差がない。鋤田正義さんの助手をしていたとの話を聞いたことがある。よほどしっかりした写真を学ばれたのだろう。


| 写真集 | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
風景に落書きする写真家たち

「ジョン・ファール写真集」

ある時期から写真は、現代美術作家たちに新しい表現手法として使われるようになった。写真に絵を書き加えたり、インスタレーションに利用されたり、たくさんの作家たちが様々な表現手法で写真を利用している。以前紹介したシンディー・シャーマンも写真家というより現代美術作家として知られている。

上の写真集は、自然の風景に手を加えて作品としている作家のものである。いわゆる騙し絵のような写真が作品なのだ。一見すると松林と砂浜と青い海の写真なのだが、水平線と砂浜に沿って松の木に白い色を塗ることで、風景に別の意味を加えている。

彼は写真家としての作品を発表しているけれど、この写真集に限っては内容が現代美術にも通じるものがあると思う。彼の新作は「http://www.johnpfahl.com/」で見られる。新作は普通の風景写真になっているが、興味のある方はチェックしてみて下さい。

「ニルス・ウド作品集」

彼の作品こそ写真でなければ残せない。自然造形作家といわれているニルスは、自然の風景の中に手を加え、時間が経過し風景が変化する様子を見せて行く。

この場合、写真は時間を切り取る道具に過ぎない。作品はあくまで、自然である。だから彼は写真家ではないのだ。自然をテーマにしながら写真で作品を残す手法をとっている二人だが、テーマへのアプローチは全く違う。

当たり前だが写真家と自然造形作家では写真にたいしての考え方は違う。それは彼らの作品を見比べれば一目瞭然である。http://www.artek.fr/galerie/photo/udo/udo.htmでニルス・ウドの作品が見られるので、はっきり分かると思う。

写真という表現は簡単で便利であるが、大事なのは作者のテーマをどう理解するかなのだろう。それによって、写真は全く違うものになるのだ。




















| 写真集 | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
密かな楽しみ
「ルーカス・サマラス写真集」

写真家は人を撮る、と先日書いた。あたりまえだが、その中には自分自身も入っている。
僕もカメラを持ちはじめてしばらくしたら、セルフポートレイトを撮るようになっていた。
写真学科にいた頃は、周りの学生たちもおなじようにセルフポートレイトをよく撮っていた。自分自身を撮影するのは、密かな楽しみでもあった。

というのも、人によって表現の仕方は様々だけれど、それぞれ工夫してセルフポートレイトを撮り、カッコイイ写真が出来上がるとみんなに見せて自慢出来るからだ。

ルーカス・サマラスのセルフポートレイト写真集は、そんな他愛の無いものではない。ポラロイドを使った写真作品だが、まぁ見ていると原色ギラギラで気持ちが悪くなる。セルフポートレイトは作家の心象風景でもあるのだが、いったいどんな事考えている人なのかわからない。でも面白い。

ルーカスは写真だけではなくて、アメリカ現代美術作家として彫刻やペインティングなどでの作品も発表していて、テーマは一貫して自分自身だった。追求すべき自分を持っていたのだろう。

「メイプル・ソープ写真集」

彼の写真をご存知の方は多いと思う。本当に優れた写真家だった。残念ながらHIVで亡くなったが、彼の写真作品は芸術なのか、猥褻なのかという議論が各所で起こり、日本でもニューヨークのホイットニー美術館で行なった写真展のカタログ写真集が、輸入禁制品にあたるとされ裁判になった。

彼のポートレイトは、人間の深いところを美しいモノクロームで表現している。ポートレイトの天才だ。どうしたらこんな風に撮れるのだろう、と見るたびに考えさせられる。彼もセルフポートレイトを作品として遺していて、自らの性癖を吐露するようなポートレイトだと思う。

彼の場合のセルフポートレイトは、自らが溜めたストレスを発散するエネルギーを感じてしまう。しかし、じつはそれが写真家の密かな楽しみなのである。

















| 写真集 | 18:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
メヂカラ

「ネイティブアメリカン写真集」

1827年にフランス人のニエプスにより、初めての写真が撮影されてから180年がすぎた。初期の写真は露光時間が長いため人物の撮影には苦労している。

しかし、写真家は人を写したい。欧州で生まれた写真は海を渡りアメリカへ向かった。アメリカだけではなく、一旗揚げようと目論んでカメラを手に新天地を目指す人々がいた。いまでこそテレビや映画で、辺境の地や絶景の自然を居間にいながら見られるが、当時は写真だけが唯一の方法。未開地を旅しながら写真を撮るトラヴェローグが流行ったのである。

トラヴェローグの時代、好奇の対象となる国や土地を旅して撮影した写真は、欧州各国で展示、講演をすると莫大なお金が手に入った。だから写真に縁の無い国や地域でも、昔の写真が残されているのだ。

僕の知人は、19世紀初期の清王朝の皇帝を撮影したダゲレオタイプを持っている。
中国にとっては、国の歴史の一部だからとても貴重な写真で、博物館に展示しても良さそうな代物だ。しかし、いまの所そうしたオファーは無いようだ。

まぁそういうわけで、ネイティブ・アメリカンや日本や中国、南米。いまとなっては貴重な写真が記録として残っているのだな。

「幕末の志士の写真」

この写真の志士はいい男だ。

しかし、残されている古い写真に写っている人々の表情を見ると、ある共通点がうかがえる。それは、目の力強さだ。レンズを睨みつけているし、長時間露光のためかコントラストが強く、しかもモノクロームなのでよけいに感じる。

日本にはロシアルートで函館、ポルトガルルートで長崎出島と別々のルートで写真技術が伝えられたといわれている。日本では写真が伝えられると、瞬く間に全国に広がって行った。新しもの好きな日本人の心を捉えた写真だった。

その時の傑作と言われているのが横浜写真である。明治時代の日本の風俗を人工着色した写真のことだ。欧米ではコレクターによって高値で取引されている。もし、古いアルバムの中に明治時代の写真が紛れ込んでいたら、処分する前に鑑定してもらった方が良いと思う。

| 写真集 | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポートレイトの楽しみ

「ジョエル・メヤロウイッツ 赤毛」

ポートレイトはポートレイト専門の写真家だけが作品を発表しているわけではない。あたりまえだがカメラを持っていれば、自然に人を撮りたくなるものなのだ。力のある写真家なら一度はポートレイトの作品に挑戦している。

8×10インチの大型カメラを駆使して、風景写真を発表しているジョエル・メヤロウイッツ
も、海岸に集まった赤毛の人々のポートレイトをカラープリントで発表している。大型カメラで撮影しているから印刷物よりもプリントの方が格段に美しいはずだが、本のタイトルの「RED HEADS」の意味は赤毛というよりも「そばかす」と訳した方が良さそうな写真ばかりだった。

きれいに撮ったポートレイトというよりも、ある条件に当てはまる人たちを選びだして並べることにより、様々な人間がいるということを記録し、提示した写真集である。

「ロニ・ホーン写真集」

ジョエル・メヤロウイッツのように、海岸にいる人々を撮影して歩き人間の外観の違いを記録する写真家もいるが、このロニ・ホーンの写真集はその対極の撮り方である。写真の女性はプールの中にいる。同じなのは水辺というだけだ。

この表紙の女性を同じ構図で表情の変化を撮り続けている。どのページを開いても似たような写真なのだが、ほんの少し違いがある。多分撮影時間は10分程度なのではないだろうか。

「どこが面白いの?」といわれるかも知れないが、そのちょっとした表情の違いを想像すると、いろいろ浮かんできて人間を感じてしまうのだ。笑ったり、怒ったりというのは分かり易い表情だけれど、人にはそれ以外にも様々な感情を表現する顔がある、のだ。

タイトルの「YOU ARE THE WEATHER」は天気のように変わり易い?という意味なのかと思ったが、果たしてどうなのだろうか。


この写真は、1989年にパリで開かれた11人の写真家による写真展「another objectivity」のカタログの表紙である。スッピンの女性が真正面を向いてカメラを見つめているだけのシンプルなものだ。照明をもう一灯左からあてコントラストを下げて、明るくプリントすればパスポートに貼る照明写真と変わらない。

でも表情を見ると何か意味を感じ取ってしまうポートレイト写真なのだ。
感じさせることの出来る写真を撮れる写真家は、良き観察者でもある。写真は感性だ、といってはばからない人がいるけれど、もうそんな表現の時代ではない。





| 写真集 | 14:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポートレイトの醍醐味
「スティーグリッツとオキーフ」

ポートレイト写真は、フォトグラファーという仕事をしていると必ず依頼されるジャンルである。そして最も写真家としての力量が問われる仕事でもあるのだ。

ただしである。コマーシャル写真や営業写真のように、きれいに撮れてるから良い写真だ、というわけではない。だから、まったくコマーシャルやエディトリアルで使われないのに、とても感動するポートレイト写真というものが存在する。

そのような写真に出会うためには、普段から写真展に行ったり、自費出版のような写真集を手に入れる他にない。まだ出版界に力があった頃は、編集者がこれだと思う写真であれば、売れないかも知れない、と分かっていても写真集を出してくれた。

いまはもうそのような力は出版社には残っていない。本が売れないので、どの出版社も悪戦苦闘しているからだ。とにかく売れるものでなければ会議は通らない。しかし、何が売れるか分からないから悩ましい。

さて、話は戻ってそのポートレイトだが、写真家によって撮り方は相当違う。それぞれのやり方で人間を理解し、表現しようとしているのだから、だれが正解なんて事はない。

スティーグリッツはオキーフと暮らしながらとても優しい視線で彼女を捉えている。彼のオキーフに対する愛が感じられるポートレイトだと感じる。

「鬼海弘雄の原点」

優しい視線と言えば、この写真集は人間に対する写真家の優しさを感じる。とても力がある写真集だし、写真家の奥の深さを感じずにはいられない。いまのチャラチャラしたポートレイトを撮る写真家たちとは対角にある写真だろう。

鬼海氏とは何度かお会いしたことがあるけれど、いろいろなことを考えている人だなぁ、との印象がある。見かけは普通のおじさんだが、カメラを持つと凄いエネルギーが出る人なのだ。

「アーノルド・ニューマン」

ポートレイト写真家としては著名な写真家がたくさんいる。なかでもアーノルド・ニューマンの写真は特徴的である。彼ほど著名なアーティスト、政治家、科学者を撮影した写真家は少ない。マリリン・モンローやJ・F・ケネディなどだ。上の写真展カタログの表紙になっているストラビンスキーがピアノの横でほおづえをついてる写真は、最も彼の撮影スタイルの特徴を表している。

シンプルな構図の中に、被写体となっている人物の仕事やイメージが印象的に配置され、ポートレイト写真を魅力的な一枚として作り上げた。以後、ポートレイト写真を目指すフォトグラファーに強い影響を与えた写真家の一人である。

彼の写真はコマーシャルやエディトリアルで頻繁に使われ、いまでもアートポスターなどでよく売れている。アートとコマーシャルが融合した、数少ないポートレイト写真家といえる。

しかし、ほとんどのポートレイト写真家は市井の人々を写し、自分なりのやり方で人間とはなにかを見つけようとしている。そんなポートレイトを撮影出来た時や、写真を見たときには強い感動を受けるのである。


| 写真集 | 11:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
☆プレゼント企画☆お気に入りのジュースは何ですか?
☆プレゼント企画☆お気に入りのジュースは何ですか?

僕のお勧めは玄米ジュースだ。

ビタミンが豊富でダイエットにはぴったり。冷やして飲むと元気が出る。
しかし、問題は沖縄でしか売っていない。というか見たことが無い。

同じメーカーだと思うけれど、お米のジュースもあった。
でもぼくは玄米の方が好き。
それも黒糖味が良い。

玄米、黒糖、塩という添加物の無いシンプルな内容も気に入っている。

「これが玄米ジュースだ」

「黒糖の色に近い」

温めても美味しいと思うけれど、冷たい方が好きだなぁ。
| 沖縄/亜熱帯食堂 | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
違う世界を見せてくれ
 
「リチャード・ロス写真集」

写真の持つ機能の一つに、「見たことの無い世界を見せてくれる」というものがある。これは例えば、宇宙から見た地球だったり、体内の細胞の写真などがそうだ。物理的に人が行けない世界にレンズを持ち込んで、普段では経験出来ない風景を写真で見せてくれる。

リアルな風景を描き出すことが出来て、現実にその場にいるような錯覚を起こさせるのは写真ならではだと思う。

しかし、もう一つ「見たことの無い世界」がある。それは他人が頭の中で考えている事だ。
目の前に広がる見慣れた光景は誰もが同じように見えているのだろうと考えてしまうが、実は人によって感じていたり、考えていることはさまざまなのだ。

だから、いつも「見慣れた普通の風景」が、写真家に撮られると「別の風景」として捉えられていて非常に驚く事がある。カメラを手にした写真家たちは違う光景として認識し、それをビジュアル化して見せてくれる。

写真が精神分析に使えるというのは、言葉に発するより見たものを感じたままに撮影するから、写真に現れた風景が撮影者の心象風景をダイレクトに語っていると考えられるからである。

なんでこんな話をしているのかといえば、リチャード・ロスの「Museology/博物館学」という写真集を見て面白いと思ったからだ。博物館に飾られているものは、それこそ人間の歴史文化、自然など、重要なものを大事に収集されたものばかりである。キューレーターが調査研究し、集めてきて入館者が分かり易いように並べられている。

ところが、誰もが見慣れた博物館に展示されたものの光景が、リチャード・ロスの手にかかるとそこからまた別の風景が見えてくるのだ。彼には、特別な目があるらしい。

「ヘレン・チャドウィック作品集」

見えない世界を見せてくれるという意味では、この難解な作品集「ENFLESHINGS」も同じである。ヘレンの作品は、自らの体内にある細胞や脳などを作品のモチーフにして、カラー写真で撮影する。彼女は臓器オブジェをガラスや鉄と組み合わせたりして制作し、撮影はフォトグラフアーが担当する。そういう意味ではアーティストであって、写真家ではない。

しかし、彼女の頭の中にあるイメージの世界を見事に見せてくれている。それが例えどんな気持ちの悪いものであっても、彼女の世界なのである。彼女はしばしば女性の社会的役割について発言していたので、内蔵オブジェは女性の体内を想像させているようにも思える。また彼女はフェミニストとしても知られていた。

メッセージの強い作品というのもまた違った世界観を見せてくれるので、とても興味深いのである。

| 写真集 | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
力のある写真が好きだ。
 
「シンディー・シャーマン写真集 ヒストリーポートレイト」

ニューヨークが写真家たちのサロンのようになったのは、アメリカが写真文化を大事にしていることもあるが、経済活動の中心地として存在していたので、お金に余裕のある美術コレクターがたくさんいた事によると思う。

有力な写真ギャラリーはニューヨークに数多くあり、コレクターが欲しがる写真を世界中からかき集め、高値で売りさばいていた。当然写真家たちも吸い寄せられるようにニューヨークに集まった訳だ。

そんななかで、シンディー・シャーマンはニューヨークに関わりの深い写真家だ。生まれがニュージャージー、大学はNY州立バッファロー校で美術を学んだ。その彼女のオリジナルプリントは一億円を超えるものもある。写真家だってお金があった方が良いから、作品を高く売ってくれるギャラリーがあるならそちらに顔を向けてしまう。

シンディー・シャーマンが写真家であるか、現代美術作家であるか議論の分かれるところだけれど、彼女のように肉体を変身させ、いろいろなものに化ける作品を作っている作家はけっこういる。

「ヴエールーシュカ(変容)」

この写真集はヴエラ・レーンドルフ+ホルガー・トリュルシュの作品集だ。
元モデルのヴエラ・レーンドルフがヴエールーシュカと名乗り、自らのボディにペインティングを施し、背景と一体化したところをホルガー・トリュルシュが撮影するという作品を集めた本となっている。

「ジュディス・ゴールデン写真集」

この写真集も様々な風景と一体化したり、自らが有名人に変身したりする作品を作っていた、ジュディス・ゴールデンの作品集だ。なかでもPeople誌の表紙を切り抜いて、有名人の顔を自らの顔に置き換えた茶化したような写真が有名だ。彼女は1934年生まれというから、もう75歳になっている。

同じように変身する三人の女性たちの写真集だけれど、全く視点も作品の質感も違う。変身願望なんて一口に言ってはいけない写真集なのである。

内容の評論はここでは避けるけれど、もし見る機会があったら、ぜひ見比べて何を彼女たちは言いたいのかその視線を感じて下さい。







| 写真集 | 14:54 | comments(0) | trackbacks(0) |